がくちょうレポート

テクノロジーと人間

好きに生きることに決めた

がくちょうです。

 

理由は自分でも分かりませんが、昨日の夕方あたりに説明しづらいインスピレーションが降りてきまして、そこでどうしようもない決定が起こりました。

 

そうです。

 

もう私は、好きに生きることに決めました。

 

生産性の呪縛から解き放たれる時が来たのだ

 

まぁこんな事を今さら言っても、

 

「いやお前は既にさんざん好き勝手に生きてきとるやん」

 

という風に世間一般からは言われそうです。

 

確かにステータスだけで見たら、私は既に

 

好きな場所に住んで

好きな人と好きな仕事をして

好きなクライアントに囲まれて

好きな時間働いて

子ども5人育てて

欲しいだけの収入を貰っている

 

という、意味不明すぎてフィクションみたいな生活をしています。

 

10年前に「こんな生活をしているよ」みたいな人に会ったら、100人中100人がネットワークビジネスの勧誘している人だった気がしますが、まぁちゃんとビジネスというものを理解して、何らかの専門技術を身につけていけば比較的誰でも実現できたりします。(いわゆる特化型フリーランスですね)

 

じゃあ、もう不満なんて無いでしょ、これ以上何を望むんや、という話なんですが、そうでも無くてですね。

 

何というか、私はこれまで結局のところ

 

生産性の奴隷

 

みたいな人間性というか、そういう生き方をしてきてしまっているんですよね。

 

本当に、言い方悪いかもしれませんが、奴隷みたいな考え方なんです。

 

もちろん、具体的な誰かに「奴隷のように扱われている」わけではなく、実際にはライフスタイル自体は好きにやっているんですが、そういう問題じゃなくですね。

 

何というか、全ての思考や判断の前提に

 

人間としての生産性を上げなくてはいけない

 

という奴隷根性みたいなものが存在しちゃっているという事なんです。

 

今までの活動のすべてが「生産性を上げる」ためのものだった

 

実際、今までの私の活動のすべては、

「人間としての生産性を上げる」

ためのものでした。

 

私自身も、それこそリクルート時代から始まって、そのあとも独立してベンチャーもやって、サービスやプロダクトや理論をたくさん構築してきましたが、全て「自分の生産性を上げるためには難しいことに挑戦する必要がある」という前提というか、強迫観念に近い概念がありました。

 

ファーストペンギン村をはじめとする「教育系サービス」に関しても、基本的には「ユーザーの生産性をいかに上げるか」という視点を中心に創ってきています。

 

知性を高め、生産性を上げることで希少人材になる。

他者より抜きんでた存在になる。

 

そのためには、挑戦しなくてはいけない、厳しいことをやらないといけない、より難しくてハードな選択をしなくてはいけない。

 

無意識に、そういった考え方が前提にあったのです。

 

しかし、私はそういった考え方を卒業することにしました。

 

教育はもうすぐ嗜好品になる

 

20世紀までは生産性を上げることが人間の生存と幸福において非常に重要だったようには思います。

 

実際、私が自分の人材としての生産性を上げることで、膨大な恩恵と幸福を手に入れているのも事実です。

 

なので、20世紀までの私の運営するような「私塾」や行政が運営するような「学校」などの「教育」という存在は、そのように「生産性を上げなくては幸せになれない」という前提のもとに、ある意味ライフラインとして提供されている部分があります。

 

しかし、あとおよそ10年くらいでその「生産性を上げなくては幸せになれない」という前提は崩壊するでしょう。

 

私は、そういう状況になるのは自分が引退する頃(30年後とか)だと思っていたのですが、ジェネレーティブAIという黒船の到来で目が覚めました。

 

そんなに遅いわけなかった!

 

2050年頃にシンギュラリティが来て、2070年とかにはまぁそういう社会になっているかもなぁくらいには思っていました。

 

でも、指数関数的に発達する人工知能は私たちの予想を大幅に上回ってきました。

 

あと10年で「生産性を上げなくては幸せになれない」という社会前提が崩壊してしまうと考えると、20世紀に人類が構築してきた

 

生産性を上げるための教育

 

というものも、同時に変化せざるを得ません。

 

はっきり言いますが、もうそのような教育は必要なくなるのです。

 

今後、ライフラインとしての教育は必要なくなり、全ての教育は「別に絶対に必要じゃないんだけど、好きで受けてる」というものに変化します。

 

つまり、教育が完全に「嗜好品」になるのです。

 

社会のために働くのを辞める

 

今まで私は、中心には自分の好きなことやインタレストを常に置きつつも、重要な判断をするときには必ず

 

より良い社会のためには、こうすべきだろう

 

みたいな考え方を採用してきました。

 

サービスの値段を下げたり拡張性にこだわってきたのも、「良質な教育機会が安く普及している社会にするべきだ。じゃないと、生産性の差を埋められない社会になる」みたいな考えが中心にあったからです。

 

そして、そういった難しい方向に舵を切ることは、自分の能力を上げることにも繋がるため、

 

世のため人のために難しい判断を行うことで、自分の能力も高める

 

という判断基準というか、行動方針を採用してきました。

 

しかし、今後はもうその両方が必要なくなります。

 

まず、「世のために人のために頑張る」必要が無くなります。教育は嗜好品ですから、安く広げようとする意味がありません。

 

同時に、「自分の能力を高める」必要もなくなります。自分自身への教育投資すら、必需品では無くなるからです。

 

言い換えましょう。

 

もう、私は「知性を磨くために成長しなくてもいいし、他者を成長させなくてもいい」のです。

 

義務感から解き放たれて、本当にインタレストに生きる

 

どちらかというと、起業してから5年くらいの間は、むしろ私は自分の興味関心を中心にビジネスをやっていました。

 

しかし、2017年からの5年間くらいは、「より良い教育機会を、安く大勢の人に普及するためにはどうすればいいか」という視点が強くなっていき、必要性や義務感に半分くらいは囚われて行動してきています。

 

それを、今から少しずつ手放していきます。

 

「やらなくてはいけない」「社会のためにやった方がいいだろう」という考えを手放していき、本当に純粋に「自分がやりたいか」を出発点にしていくつもりです。

 

今回私は「インタレストワーカーになれ」というメッセージを皆さんに出していく事にしました。

 

これまでも、生徒さん達には「社会のためとかは考えなくていいから、自分のために事業をやれ」という風に伝えてきていたのですが、そういいながら「自分は社会のために色々とやってる」みたいな矛盾があったように思います。

 

でも、それはもう辞めてしまいます。

 

これからは、もっとインタレストに、もっとギークに。

 

自分の興味関心を中心に、率先してインタレストに生きていきます。

 

文化にイノベーションを起こすための4つの実装手順について

前回の記事で、文化にイノベーションを起こすための4つの要素が理解できたと思う。

 

改めて整理すると、

  1. 経典を汎用化する
  2. 汎用性が高い推奨行動を定義する
  3. スケーラビリティのあるオンライン交流のUXを開発する
  4. 評価システムを実装する

の4点である。

 

今回の記事では、それらを1つずつ、丁寧に実装フェーズに移していく。

 

⑴ 汎用性が高い推奨行動の定義

最もプライオリティが高いのは、この課題になる。

 

いや、もはやこれが全ての原点と言ってもいいだろう。ここが定義できれば、細かいUXが多少悪かろうが、おそらく全体が機能する。

 

今回は、私が運営するファーストペンギン村というプロダクトをケーススタディにしてみよう。

 

BEの定義

 

まず、プロダクトを通じて「どういったBEを増やしたいのか」という部分を明確にする。

 

複数の候補があり得るが、私としては

 

「インタレストワーカーを増やす」

 

というのが目的として定義できる。

 

これはずっと自分が言いたかったことで、10年間あまり変わってこなかったように思うことだ。

 

よく使われる言葉で言えば、「好きなことで稼ぐ」とかになるが、好きなことというのは非常にあいまいで誤解を生むケースが多いため、私は使用しない。

 

代わりに、「興味関心で稼ぐ」という風に置き換えて、インタレストワーカーという風に定義してみる。

 

つまり、興味関心があればそれだけで稼げるんだよ、というような事を言っているし、逆に言えば「興味関心を軸に仕事をしようぜ、稼ごうぜ」というメッセージでもある。

 

BEを実現するために最も重要でコアになる行動を列挙

では、この「インタレストワーカー」というBEを実現するために、必要な行動は何だろう?

 

それらの行動の中で、

  • シンプルで汎用性が高い
  • 化内完結性が高い

という要素を持ったものを導きだすイメージになる。

 

今回は吟味する部分はカットするが、コア行動は

  • 自分が興味がある技術(何かを上手くやるコツ)についてアウトプットする
  • 興味があるかもしれない技術についてインプットする

の2つ、つまり「インプット⇔アウトプット」に限定される。

 

推奨行動の定義

最後に推奨行動としてまとめる。

 

まず、2人1組になる。

そして、インプットかアウトプットかを決める。両者ともにインアウトがある場合は、30分交代で60分行う。

片方がインしか無い場合は、アウト⇒インで30分で終了する。

 

アウトプット側は

事前準備:本屋に行く⇒興味のある本を選定してくる

当日:興味のある本(またはキーワード)について1つを紹介

(例:メタバースVRです)

①何をうまくやるために、その技術は有用だと感じるか?相棒の助けを借りて言葉にしてみよう。

(例:距離が離れていても、同じ方向性に向かって協働できる人と繋がるために有用)

②それをうまくやれる人が増えると、どんな良い生活が送れるようになる?相棒の助けを借りて5つ以上挙げてみよう。

(例:住居に関係なく、仕事ができるようになる。好きな場所に住めるようになる。通勤が無くなる。無駄が少なくなって拘束時間が減る。好きな人をピックして仕事仲間にできるし、嫌いな人とは付き合わなくて良くなる。)

③上記の5つの「良い生活」の実現のために、既に自分が取り組んできた事を、相棒の助けを借りて10個見つけよう。

(例:オンラインでセミナーやコンサルを受注する。好きな人に仕事を外注して上手く回す。好きな人しか集まってこないように発信をする。オンラインで受注できるようにコピーを書く。メルマガにリテンションする。ビジョンを共有して外注メンバーを集める。タスクを分類して効率を上げる。オンラインセミナーの満足度を上げるために会場にメタバースを使う。ワークショップを混ぜることでオンラインセミナーの満足度を上げる。ブログで専門性をアピールする。)

④自分の中には、どんなコツ(経済合理性のタネ)がありそうか?相棒の助けを借りて5つのコツを言語化してみよう。

(例:オンラインセミナーにうまく集客するコツ。自分のやりたいことをうまく伝えて外注メンバーのモチベーションを上げるコツ。メルマガで集客するコツ。オンラインで人を育てるコツ。オンラインセミナーからバックエンドを受注するコツ。)

の4つのワークを、相棒の助けを借りて、時間内で可能な限り完成させよう。

 

上記のペアワークを、推奨行動とする。

 

スケーラビリティのある交流方法の開発

次にこの課題に着手する。

 

これは、簡単に言えば「ユーザー同士で活発に情報交換させることで、経典の刷り込みを行い、評価システムへの参加を促したい」という目的が根底にある。

 

ユーザー同士で経典に対しての意見交換が増えるほど、解釈は正確かつ深くなり、その周りに対しての評価システムへの参加を促せる結果に繋がる。

 

そのためには、経典の理解度が高い人間をまず中心に創り上げ、その人間と周りが交流を深めやすいようにすれば良い。

 

この時に、掲示板システムでN対Nの膨大な情報のやり取りを行おうとすると、非効率的かつアクセシビリティが下がる。

 

そこで、同期的に「nagisaの会」「やしきの会」などの理解度が高い人間が、新人や理解度の低い人間に対して情報を提供するような場所を設けて、それを放送する形にする。

 

さらに、終了後に「学びと感謝と行動」を書き込ませることで、「学習⇒交流⇒行動促進⇒周囲への情報共有」という4つの効果を実現する。

 

人数が増えたら、開催側の人数を増やしたり、開催数自体を増やすことで対応できる。

 

もちろん、定義した「推奨行動」に関しても、非同期的ではなく、メタバースを使用して同期的に実施する。

 

まとめると、

  • メタバースに会場を設置し、指定の時間に「推奨行動+交流要素の強い何らかのイベント」を実施する
  • 推奨行動は会場で2人1組になってペアでワークを行うものとする
  • イベントも自由に参加できるグループワーク系のものとし、理解度が高い人間がファシリを行う形にする
  • 同期的な交流を配信することで情報を非同期的にも共有する
  • イベント後に指定フォームに投稿をさせることで、非同期的な交流も当事者間だけで一定量発生する仕組みにする
  • 募集用のスレッドは目的的なので活用できるように設置しておく

という風に設計できる。

 

これで、交流は事実上、大量に発生してはいるが、自分に関係ない通知は一切来ないという状況を作れるし、そもそもチェックしなくても良いという風な状況にできる。

 

チェックする場合は、確実に「何らかの目的がある」投稿に限定されるため、少なくともチェックする意味を感じることが可能。

 

評価システムの実装

次はこちら。

 

ここは細かいUXやUIまで踏み込んで考える必要がある。

 

まず、要素分解して

  1. トリガー
  2. アクション
  3. リワード
  4. インベスト
  5. 内発回帰

の5つの要素ごとに考えていく。

 

トリガーの実装方法

トリガーとは、通知等でユーザーにアクションを喚起する施策の事を指す。

 

トリガーの種類は大きく2つ。

1つは「まだ推奨行動を行っていないユーザーに対して、ファーストアプローチをするためのトリガー」で、

もう1つは「推奨行動を行ったことが、次の推奨行動を促すことに繋がるようなループトリガー」である。

 

まず、ファーストトリガーについて検討する。

 

ファーストトリガーはシンプルに、運営からの告知で問題ないように思う。

週に2回程度、効果事例やイベントの告知など、推奨行動に参加したくなるようなストーリーとセットで告知を行う。

 

ループトリガーは、できれば自動化したい。

これはつまり、「やるほどに、やりたくなる」という仕組みをどう創るか?という問題である。

 

例えばだが、「知り合いが増えるほどに、参加メリットが高くなる」というネットワーク構造を作れれば、それをトリガーに連結するだけでループトリガーが完成する。

 

今回は

「過去にペアワークを一緒にやったことがある人と、一緒に謎解きチャレンジに挑戦することで、ランダムで何らかのリワードとインベストが増える」

という施策に決定する。

 

これによって、ペアワークに参加するほど、「会場に行った時にチャレンジを回せる回数が増える」という状況が発生するため、「できるだけ参加して推奨行動をしよう」というトリガーに連結させることができそう。

 

アクションの実装方法

アクションに関しては、「いかにアクションコストを下げるか」という課題に取り組む。

 

これは、「場所を指定する」「時間も指定する」という施策が有効そうだ。

 

これにより「自分から発起して、人を集めたり場所を用意したりしなくても良い」という条件が整うため、逆にアクションコストを下げる方向に働いている。

 

(最初は、場所と時間を自主的に決めた方が良いか?つまりUGC的な方が良いか?と考えていたが、それは精神的な自発性が必要だし、時間の調整や場所の準備も必要になるため、逆にアクションコストを上げてしまうことが判明している)

 

指定開催にすれば、自発性も必要なく、投稿も必要なく、調整も必要なく、失敗リスクもなく、場所の準備の必要もない。「時間を合わせる」というアクションコストしか発生していないため、全体で見れば大幅にコストを引き下げることができる。

 

さらに、会場のURLを直接DMで時間に送付することで、アクションコストを下げることもできるだろう。

 

逆に、これ以上のインパクトのある施策は少なそうだ。

 

リワードの実装方法

次はリワードだ。

リワードは、端的に言えば推奨行動を実施した際に得られる報酬のシステムだ。

 

これは、即自的で明確な方が効果的になる。

 

まず、推奨行動を行ってフォームから学びを投稿すると、自動的に「2ペギー」が貯まる。これは、村への貢献ポイントであり、ペギー長者に対しては不定期で特別な抽選が開催されたりなど、優遇処置がある。

 

さらに、ペアチャレンジを実施することで、ランダムでアマギフが当選する。

 

これによって、「確実に発生するリワード」と「ランダムで発生するリワード」の両面を提供できる。

 

フォームからの投稿は、google formを経由して相手に伝わり、その感謝メッセージ自体も推奨行動に対してのリワードになる。さらに、フォームから「感謝を伝えたい相手」を選択して投稿することで、相手に1ペギーをプレゼントできる。

 

週に1回、ファーストトリガーの告知に合わせて、先週分の投稿の中から「ナイペン投稿」が選出され、表彰の言葉とアマギフがプレゼントされる。これも、推奨行動を行うリワードになる。

 

インベストの実装方法

次はインベストの実装について検討する。

インベストは、ユーザーに何らかの投資をさせることで、サンクコストを発生させるような取り組みを指す。

 

少なくとも上記のリワードにおいて

  • ペギーは蓄積型であり、推奨行動にインベストするほどに、対価として貯まっていくため、これまでの投資を無駄にしたくないというサンクコストが発生する
  • 蓄積したペギーは、自分の村での実績や信頼を表すものに変わるため、せっかく積み重ねた信頼値と優遇処置を失いたくないというサンクコストが発生する
  • 積み重なった感謝のメッセージも、自分の信用と信頼を保証するものに変わるため、失いたくないというサンクコストが発生する

という3つのインベスト効果を担保できている。

 

内発回帰の実装方法

上記のトリガー⇒アクション⇒リワード⇒インベストの効果によって、推奨行動を行い続けるメリットは外発的に担保されている状況になる。

 

あとは、「成果報告!こんないい事あったよ!」の投稿BOXを作成し、月に1回の配信でアマギフをプレゼントしまくる。

 

投稿フォーマットとして、

  • ①最近、あなたに起こった「良いこと」は何ですか?
  • ②それは、あなたがどんなことを意識して行ったから起こりましたか?
  • ③その「良いこと」に繋がるきっかけになった、村の人に感謝を伝えてください

という風にする。

 

これを投稿するたびに、投稿者は

 

「村の中で推奨行動を通じて人と関わることで、結果として良いことが起こった」

 

という事をメタ認知することになり、回数を重ねることで行動に内発的な動機が発生していく。

 

経典の汎用化

最後に経典の汎用化について触れる。

 

これは、スライド資料を作ってそちらで説明をして、徐々に汎用性を高めていくという手順が良いだろう。

 

上記の手順を持って、プロダクトの構築にあたることとする。

 

 

 

 

 

 

オープンでアクセシビリティの高いカルチャーをどうやって創造するか

これからは「文化」の時代だと思う。

 

今までは、人間が所属する「集団」というのは、産まれた場所や通っている学校など、ある意味「偶発的にそこに物理的に存在したから」という理由で形成されていた。

 

それが当たり前だった。

 

だが21世紀、情報化時代より先では、この

 

「偶発的に自分の物理存在がどこにあるか」

 

という事と、「所属する集団」というのが関連しなくなっていく。

 

これまでは、似たような場所に住んでいれば、似たような学校に行って、似たような教育を受けて、似たような会社に就職していたはずだった。

 

でもこれからは、「物理的距離の近さ」と「集団形成」はイコールでは無くなる時代になるだろう。

 

もちろん、インターネットのお陰だ。

 

これからは「何」が集団形成に関係してくるのか

 

では、物理的距離の近さが集団形成に関連しなくなるとしたら、何が代わりに関係してくるのだろう?

 

お分かりの通り、「精神的距離の近さ」に代替される。

 

インターネットの普及によって、世界中の人と「精神的な繋がり」を創れる時代が来た。

 

この社会環境を上手く活かせば、我々は「物理的近さ」に依存しない集団形成が当たり前の世界を構築できるはずだ。

 

そもそも、「物理的距離」が集団形成の中心的な因数になっているというのは、非常に「良くない社会」だ。

 

物理的距離が近い事を最優先にして集団を形成した場合、各人が重要としている精神性にズレが発生しやすくなるからだ。(同じ学区だからって、無理やり同じクラスにしたら、価値観が違って当たり前だ。)

 

それに、物理的距離の変更はコストを伴うため、上記のような社会では「集団をスイッチするコスト」が高すぎる状態になってしまう。

 

分かりやすく言えば、偶然地元の学校が自分に合わなかったり、クラスでイジメられてしまったら、高いコストを払って他校に転校するなどが必要になってしまうわけだ。(そして、構造が変わっていない以上、転校先でも同じことが起こる可能性は高い)

 

偶然、自分を産んだ親がとんでもない人格だった場合や、就職した会社の社長がどうしようもない倫理観だった場合なども、全く同じことが起こる。

 

人間にとって、「どの集団に所属するか」は、大きくQOLに関わってくる重大なテーマであるにも関わらず、20世紀までは「物理的距離」というガチャ要素によって、ほとんどの「スイッチコストを自由に払えない人類」は望んでいない集団に所属させられていた、とも言えるだろう。

 

※一部の富裕層だけは、自分が望んだ集団に所属するために、海外に移住してインターナショナルスクールに入れたり、高級住宅街に引っ越したり、エージェントを経由して外資系企業に転職したりしていた。

 

私は、この「物理的距離によってどの集団に所属するかが決定する」という社会から脱却し、「精神的距離によって集団を決定でき、いざという時にも所属集団をスイッチするコストが低い社会」を創造したい。

 

これが私がこの5年間、ずっと望んでいて、実現しようとしてきた事なのだ。

 

オンラインに「精神的距離の近さ」を創造する

 

上記のビジョンは、「物理的距離に依存せずに、精神的距離の近さを創り出す」ことができれば、実現できると考えている。

 

人間は、たった1人で充実した生活を送れる可能性は極めて低い。

 

必ず、何かしらの集団に所属することで、恩恵を授かり幸福度が上がりやすいように遺伝的に設計されている。

 

ならば、その「何らかの目的を持ち、集団に所属しようとした瞬間」を、全てオンライン起点にできないだろうか?

 

例えば何かを学びたい、と思った時に、近くにある塾やスクールを探すのではなく、オンライン上にある何らかの「集団」に所属するところからスタートする。

 

こうなりたい、こうありたい、と人間が望んだ時に、そのタイミングで必ず「オンライン上の何らかの集団」にアクセスでき、精神的な距離の近さを感じながら集団の力を借りて願望を達成することができ、もし自分に合わない場合にも簡単に別の集団に所属をスイッチできてしまう。

 

そんな社会にできないだろうか?

 

そこにあるのは、これまでの「会社」「学校」「家庭」などの集団としての枠組みではなく、オンラインで精神性の同調を中心に形成された集団。

 

これまでの言葉で言うなら、

「クラン」「カルチャークラブ」「宗教」

などが近い概念になるだろう。

 

集団を形成できるような「精神的な距離の近さ」とは何だろう?

 

では、そもそも集団を形成し、維持できるような「精神的な距離の近さ」とは一体何なのだろう?

 

どうすれば、そのような近さを生み出すことができるのだろうか。

 

これが、私のここ数年の重要な研究テーマになっている。

 

この「精神的な距離の近さを生み出すもの」の正体を、私は

 

文化

 

という風に表現することにした。

 

つまりこれからは、「物理的距離の近さ」ではなく、「文化(精神的同調性)」によって自分が所属する集団が決定される(決定できる)社会になっていくのだ。

 

どれだけ近くに住んでいても、文化を共有していない相手とは集団を形成しないし、逆にどれだけ離れている相手でも、同じ文化を共有している相手とは同じ集団に所属することができる社会。

 

文化的な繋がりが、人間の集団形成の中心的な因数になる社会が来る。

 

そう私は感じている。

 

そしてそれは既に、グローバル企業が世界中にプロダクトを広め始めた時、

 

「私はMAC派です」とか

「私はandroid派です」とか

 

そういう言葉になって、既に兆候として表れ始めている。

 

これがもっと細分化されて、人がテーマごとに自分が望んだぴったりの文化を選択して、多層的にいくつかの所属文化を持って暮らすようになるのではないか?

 

※例えば「暮らしに関しては無印とニトリ、食に関してはスローフード、生産に関してはgoogleの考え方を採用(文化に所属)している」みたいに。これが企業体だけでは無いものになる感じだ。現段階では、開かれた文化はグローバルな企業体くらいしか提供できていない。

 

そういう未来を私はイメージしている。

 

文化の構成要素と影響力

 

つまり言い換えるなら、「オンラインにどうやって文化を生み出すか」というのが、私が取り組むべき課題という事になる。

 

そのためにはまず、

  • 「文化」というのものが何なのか?
  • 「文化」というものがなぜ、どのように人間のQOLに大きく関わってくるのか?

という部分を言語化しなくてはならない。

 

文化の形成に必要なもの① 評価基準

まず、文化の形成に必要なものの1つ目が「評価基準」だ。

 

これは、平たい言葉に直すと

「何を」「なぜ」「かっこいい(良い行いだ)」と思っているのか?

という風に表現できる。

 

この基準を中心に、文化というのは形成されていく。

 

究極にシンプルに言うなら、文化とは「同じことをかっこいいと思っている集団」だ。

 

多少の解釈の違いはあっても、根底で「同じようなことを、同じような理由で、かっこいいと思っている」という部分の共有がある。

 

宗教だろうがグローバル企業だろうが、根底には「何らかの評価基準」が存在しており、それに同調できた人間はその文化に所属し、その評価基準に従って行動規範を創っていく事になる。

 

人間の一個人としての統一性を生み出すのは、評価基準なのだ。

 

文化の形成に必要なもの② 評価システム

次に必要なのが、「評価システム」である。

 

評価システムは大きく3つに分類でき、

 

  • 評価基準に従って行動させる仕組み
  • それを評価して外発的動機を強化する仕組み
  • それが内発的動機に変換されていく仕組み

 

の3つが必要だ。

 

例えば宗教では「このように行動しなさい」と経典(評価基準)だけ与えるのではなく、毎週日曜日は集まって強制的に評価基準に従って行動させるなどの場所や時間を設定しているし、うまく行動できた人を全体の前で評価するなど、外発的動機を強化する仕組みもある。

 

さらに、定期的に内省させて達成した幸福を経典と関連付けさせる機会を増やすことで、自然と内発的動機に変換する仕組みまで整っている。

 

評価基準と評価システムの両方をうまく創出できると、ユーザー内に「この評価基準に従って行動していると、人生が自分が望んでいる良い方向に変化する」という感覚が醸成され、「こういう時は、こうした方がいいでしょ」という風な当たり前の判断水準というものができあがっていく。

 

この「共通の判断水準」というのが積み重なって、文化が形成されていくわけだ。

 

文化の形成に必要なもの③ 情報量(占有率)

最後に、情報量である。

 

その評価基準に従って行動することが、なぜ素晴らしいのか?何が素晴らしいのか?について、膨大な情報を受け取り続けることで、文化が根底まで浸透していく。

 

これは、創業者が一方的にメッセージを送り続けることでも成立するし、ユーザー間で何度も多角的に情報を共有し合うような形でも成立する。

 

重要なのは、「ひとりのユーザーにとって、その情報が全体の中でどれくらいの割合になっているか(占有率が高いか)」である。

 

占有率が高いほど、文化は強くその個人に浸透していくことになる。

 

文化が人間のQOLにどのように影響を及ぼすか

上記3つ。

 

評価基準・評価システム・情報量

 

の3つをうまく形成し、ユーザーに提供することができると、特定の指向性を持った「文化」というものに、ユーザーを所属させることができる。

 

この「文化」に所属したユーザーは、端的に言えば

 

行動習慣が変わる

 

というメリットを享受できる。

 

人間の行動を変えるのは、評価基準である。

 

特定の方向に指向性を持った評価基準に接し続けることで、人はその方向に向けて自然と行動し続けるようになるし、同じ方向に向けて行動している人間と大量に接触することで、「望んだ方向に進むために必要な情報」というのは自然と得られるようになる。

 

(それは、成功事例であったり、具体的なノウハウであったり、勉強会や実践会などの機会の情報であったりする。)

 

濃密な文化に所属して、その文化が推奨する方向性に人生が変化しない方が難しいと言ってもいい。

 

だから、もし人間が「所属したい文化を自由自在に選べる」ようになるのであれば、それはもう「なりたいように、生きたいように、ありたいように、誰もが人生を自在にデザインできるようになった社会」という風に言えるだろう。

 

これが、私が生み出したいと考えている社会像であり、そのために必要だと考えている3つの要素というわけだ。

 

文化に必要なイノベーション

 

私はいつも、問題を分かりやすくするために「2つの相反関係性にある指標」というのを考える。

 

今回は、

  • 文化に参加しやすいか(開放性)
  • 文化の精神同調性が高いか(濃密性)

という2つに指標を分類してみよう。

 

この2つは相反関係になっていて、簡単に言えば

  • 文化に参加しやすくするほど、精神同調性は下がる(行動習慣が変わらない)
  • 文化の精神同調性を上げるほど、参加しづらくなる(参加できる人数が減る)

という相反を抱えていると言える。

 

この相反に対して、ムーンショットが必要なわけだ。

 

文化のアクセシビリティを下げる要因は何か

では、改めてこの2つの要素

について、それぞれの要素を下げてしまう要因について整理していこう。

 

まず、文化の接近性、参加しやすさ、オープンかどうか、という指標(これを文化のアクセシビリティと呼ぶ)についてだ。

 

①文化の不明瞭さ、非明言性によってアクセシビリティが下がっている

文化のアクセシビリティを下げる最も大きな要因があるとしたら、この「文化の不明瞭さ」「文化の非明言性」ではないかと思う。

 

これは言い換えれば、経典の不存在という事だ。

 

戒律や経典というのは、事前約束と同じだ。

 

その文化に所属することで、自分がどういった同調性に参加することになるのか?を、事前に明言し伝える効果がある。

 

「参加するまで何を守らないといけなくなるか分からない」という宗教があったら、とてもではないが、怖くて入信できなくなるだろう。

 

②文化の土着性によってアクセシビリティが下がっている

文化というのは、往々にしてどこかの「土地」に土着しているものだ。

 

なぜなら、基本的に文化が創造されるのは「何らかの地理的要因によって、偶発的に特定の作業を行う人間が特定のエリアに土着した結果」だからである。

 

受動的な文化の創造起源として、最も多いのは「気候」だろう。

 

例えば、このエリアは寒い。冬は3Mの積雪がある。だから、必然的に「こういう行動が合理性が高い」という評価基準や評価システムが地理的に形成されていく。

 

結果として、同じ地理的条件を共有するエリアに、文化が土着する。

 

これが「受動的な合理性から発生する土着した文化」の代表例である。

 

能動的な文化の創造起源としては、例としてシリコンバレーが挙げられる。

 

特定の「地主」のような存在、シリコンバレーの場合はスタンフォード大学が該当するわけだが、そういった地理に大きな影響を与えうる存在が、ある指向性を持った評価基準や評価システムを周辺に広く整備する。

 

例えば、シリコンバレーではスタンフォード大学が新規事業やベンチャースタートアップの支援に力を注ぎ続け、結果を出し続けたことで、同じような評価基準を望む人間が集まってくるようになった。

 

結果として、同じ地理的条件を共有するエリアに、文化が土着する。

 

これが「能動的な合理性から発生する土着した文化」の代表例である。

 

この場合は、受動的な文化形成よりも拡張性が高くなる傾向がある。評価基準や評価システムは、実際には物理とは関係なく普及できるものだからだ。

 

地理的に土着する必然性は無いが、土着した方が濃密度が上がりやすい、という話になる。

 

③文化内の非同期的コミュニケーションによってアクセシビリティが下がる

前述した「文化の非明言性」「文化の土着性」の2つに関しては、

 

「オンラインにコミュニティを作って、オーナーがちゃんとルールと評価基準を明言して、守れている人をうまく表彰してあげれば、回避できるんじゃないの?」

 

という風に考える人も多いだろう。

 

その仮説はまさに、2012年頃から「オンラインサロン」という名前で爆発的に増えていき、10年経った現在では既に絶滅しかけている「オンラインコミュニティ」という存在によって反証されてしまった。

 

もちろん、ルールや評価基準があいまいだったオンラインサロンも山ほどあっただろうが、実際にはルールや評価基準が明確になっていたとしても、やはりアクセシビリティは改善されなかったのだ。

 

つまり、「非明言性」「土着性」以外にも、文化のアクセシビリティを阻害する要因があるという事だ。

 

それが、「文化内の非同期的コミュニケーションの比率」という要因である。

 

これは、文化の精神同調性を高めるための3つの要素のうち、「情報占有率」に関わってくる話だ。

 

情報占有率を高めるためには、大きく「オーナーが情報を大量に浴びせ続ける」「ユーザー同士で情報を交換する」という2つの方向性がある。

 

この2つのうち、「オーナーが情報を大量に浴びせる」という選択をした場合には、先ほどの「文化内の非同期的コミュニケーションの比率」は、文化のアクセシビリティを阻害する要因にならない。

 

シンプルに表現すれば、「オーナーが毎日ありがたいメールや投稿を送りまくっていることで成立しているオンラインサロン」というのは、実際に存在している。

 

この場合、非明言性すらオーナーの権力で回避できてしまうため、言い換えれば

 

カリスマが毎日何かしらオンラインに投稿しているだけで、有難がって寄ってくる人間が集まってきて、あたかも新興宗教の教祖のような形式で文化が構成されている

 

という状態を容易に創造可能だ。

 

このケースは多くの場合、信者の多くは妄信的になり、自律性が落ちていく傾向があるが、そういった事を無視してしまうなら、「カリスマの毎日投稿」によってオンラインに文化は創造可能だと断言できる。

 

問題は、この「1人のカリスマ教祖によって文化を成立維持させる」という手法を取らなかった場合だ。

 

その場合は、文化の構成要素である「情報占有率」を高めるために、文化内の人間同士での情報交換を促進する必要が出てくる。

 

だが、現段階ではオンラインによる人間同士の交流は「テキストの非同期的な交換」という方法に頼っている部分が大きい。

 

言い換えれば、「スレッドによる置手紙システム」である。

 

この置手紙システムは、参加人数が増えると目的的にしか使用できなくなるという性質を持っているため、

 

大規模運用しようとすると、情報量が多くなりすぎてアクセシビリティが下がる

 

という現象が起こりがちだ。

 

つまり、スレッドによる置手紙システムは、「目的的な場合」と「少人数運用の場合」に限定した上で、それに代替する「大規模運用してもアクセシビリティが下がらないようなオンラインの双方向型コミュニケーション手法」が必要だ。

 

この手法を見つけ出した上で、評価基準と評価システムを明言し、オンラインに実装することができれば、文化のアクセシビリティを損なわずに創造可能になると考えている。

 

文化のシンクロニーを下げる要因は何か

次に、文化のシンクロニーを下げる要因について深堀していく。

 

①経典が無い、または弱いと文化のシンクロニーが下がる

まず分かりやすいのはこの要因だろう。

つまり「評価基準」が明確になっていない。

分かりやすく伝わる仕組みやコンテンツが無い。

 

  1. どういった行動が
  2. なぜ重要で
  3. それによって何が起こる可能性が高く
  4. 実際に何が起きているのか

 

この4点セットが分かりやすく伝わるような経典が必要だ。

 

②評価システムがhookedされていない

これも分かりやすいが、評価システムが人間の行動心理学に基づいて設計されておらず、弱いと文化のシンクロニーは高まらない。

 

  1. トリガー
  2. アクション
  3. リワード
  4. インベスト
  5. メタ認知

の5つのサイクルを意識して設計することで、ユーザーを行動させ、外発的動機が自然と内発的動機に変化していくように促す必要がある。

 

③膨大なナビゲーションによる情報の占有と書き換えが行われないと、文化のシンクロニーが下がる

これも、3つの要素のうち1つなのでシンプルな話だ。

シンクロニーを高めるためには、所属するユーザーに対して膨大な情報を提供することで、データーベースごと書き換える必要がある。

 

しかし、事実上「スレッド置手紙システム」によってユーザー同士の大量の情報交換を実施するのは不可能である。

 

よって、他の「双方向型コミュニケーション」を模索しなくてはならない。

 

中長期的に見れば、経典の解釈の違いによって別の宗派に分かれていく事は防ぎようもないが、それは自然に任せるしかないように思う。

 

ただ、ある程度の自浄作用が発揮されるように、ユーザー同士のコミュニケーションに対して干渉できる仕組みが必要だろう。

 

それは、評価システムのメンテナンスであったり、オーナーからのメッセージであったりする。

 

特に、指定の行動を実施させた後に、メタ認知させる仕組みを創り、そのメタ認知の際のアウトプットをルール化することで、特定の方向性に考え方を誘導することが可能だ。

 

イノベーションに必要な業務とは?

さて、ここまでで「文化創造システム」の構築に必要なイノベーション要素が見えてきたはずだ。

 

ここからはそれらの要因を整理しつつ、実装に必要な作業を洗い出してみよう。

 

①経典の書籍化、ストーリー化、汎用化

まずは経典を整備する必要がありそうだ。

経典が明確であるほど、文化のアクセシビリティとシンクロニーの両面が高くなっていく事が判明したからだ。

 

できれば、ストーリーになっていて、かつ漫画などで汎用化するのが望ましい。

 

②内部完結性の高い推奨行動の定義

「ここに集まって、こんな行動をしなさい」などのように、行動内容を明確に指定しやすく、実施を半強制できるような性質を持った「推奨行動」が必要だ。

 

その行動は、当然文化の中心となる評価基準に沿ったものになる。

 

つまり経典側で「このような行動をするのが良いのだよ」という風に抽象的に示したうえで、「具体的にはここでこんな行動をせよ」という風に推奨行動で促すという事になる。

 

この場合、推奨行動は「できるだけシンプルで、分かりやすく、1つに絞られている」ものである必要がある。

 

そして、同時に「汎用性が高く、バリエーションが無制限にあり、多様性が担保される」ような性質も持ち合わせていなくてはならない。

 

サンプルで成功例を挙げるなら、テラコヤの「メタ認知ワーク」のようなものになるだろう。あれは、「メタ認知能力を向上しよう」という文化基準に沿って作られており、シンプルで分かりやすくて1つに行動が絞られているにも関わらず、毎回違う体験が発生し、多様性が担保された状態が実現できている。

 

さらに、可能な限り「内部完結性が高い」ことが望まれる。

 

つまり「文化に所属している人間だけで実施できる行動」である。

 

これらの特徴、つまり

  1. シンプル
  2. 汎用性が高い
  3. 内部完結性が高い

の3つを満たした「推奨行動」の定義が、非常に重要であり、イノベーションのカギになるタスクだと考える。

 

③ユーザー間での膨大な情報交換を、アクセシビリティを下げずに実現できるUXの開発

前述したように、スレッドによる置手紙でユーザー同士の情報交換を実施させようとしてはいけない。

 

そこで、マッチング性のある「推奨行動」を行わせることで、ユーザー同士に半強制的に情報交換が発生するようにする。

 

この時に、まず

 

UGC的な考え方でユーザーが自発的に「マッチング性のある推奨行動」を行うように設計するパターン

 

が検討される。

 

過去の例で言えば、「グループワーク」や「同世代あるある発見」などを実施した。

 

これは、推奨行動が「パートナーに依存しない」ような内容になっていれば、十分に機能するようだった。

 

だが、少しでも複雑性が上がったり、学習効果を要求しようとした途端に、

  • アクションコストが上がって実施回数が減る
  • マッチング精度が必要になって満足度が下がる

の両方の事象が発生した。

 

つまり、事実上ほとんど機能しないと言っていい。

 

次に、

 

運営が主導して何らかの「マッチング性のある推奨行動」を行える機会を創出し、人を集めるパターン

 

がある。

 

事例で言えば、テラコヤの定例学習会が該当するだろう。

 

こちらは、運用の手間がかかるが、品質や機会のコントロールが可能で、様々なテストの結果としてはこの「運営主導パターン」を採用するのが望ましいと判断している。

 

④評価システムの実装

こちらも、中途半端な状態になっているので丁寧に実装していくべきである。

 

具体的な方法論については、次回の記事に託すとする。

 

以上、今回は

私が目指そうとしている社会像について

その実現に必要な「文化」という要素について

文化の相反関係について

文化にイノベーションを起こすための要素について

という話をした。

 

 

次回は、具体的に実装フェーズに移るための話に入る予定だ。

 

 

2年後から「勉強が趣味になる世界線」が始まる

まだ知らない人も多いと思うが。

おそらく2025年、または早ければ2024年内に、シンギュラリティに近い現象が起こる。

 

AIの先端研究で、簡単に言えば「学習量」というものを定数化して計測した場合に、人間が学習している量よりも多くを学習できるコンピューターが誕生してしまうのが、およそ2025年頃だという事が分かったらしい。

 

2022年現在でも、コンピューターは既に人間が話している「言葉自体」を人間レベルに正確に聞き取れるし、「意味」すら理解できるようになっている。

 

この「言語理解」というのは、パンドラの箱が空く瞬間とも言える。

 

人間に残された最後の知性の壁は「読解力」だったわけで、そこをコンピューターができるようになってしまうと、その先は

 

眠らずに通常の人間の何千倍のスピードで学習する「出木杉くん」

 

みたいなやつが完成すると思えばいい。

 

同じように言語を扱い、我々の何千とか何万倍のスピードで、一睡もせずに学習し続ける相手に対して、私たちは知性で勝てることはない。

 

これは、私たちが車より早く走れなかったり、ブルドーザーよりも重いものを運べなかったりするのと同じだ。

 

もしかしたら、当初はそういった機械に対して「人間の素の力」だけで対抗しようとした瞬間もあったかもしれない。

 

しかし、すぐに人間は諦めた。

 

いま、車より速く走ろうとする人間はいない。

 

ブルドーザーと張り合ってスコップで掘削をする人間もいない。

 

人間の性能には物理的限界があるからだ。

 

だが人は身体を鍛える

 

だが、分かると思うが、今でも陸上競技というものは存在していて、100メートルのタイムを0.01秒縮めるために人生を投入している人間がたくさんいる。

 

身体を鍛えるのは、マシンの登場前までは「生産性を上げるため」だった。

 

レーニングを積むことで、兵士として敵を殺したり、たくさんの土地を耕したり、飛脚としてより早く情報を届けたりしていた。

 

現代では、それら全ての目的を達成するために、身体を鍛える必要は無い。

 

しかし、人は身体を鍛える。

 

これは、人間に「成長欲」というものが存在しているからだ。

 

我々は、同種族の中でより秀でた存在になることで、本能的に満たされるように進化している。

 

だから、何の飯の足しにもならない(むしろ金がかかる)にも関わらず、トレーニングジムに通って150キロのバーベルを持ち上げてプロテインを飲む人間がたくさんいる。

 

報酬はパンパンに膨れ上がった大胸筋と、隣で羨望のまなざしで自分の胸筋を見つめる同種族、ということだ。

 

シンギュラリティ後も人は学ぶだろう、しかし

 

この事実は鑑みれば、2025年以降にコンピューターに何をもってしても知性で勝てなくなった人類だろうと、おそらく「知性を磨こうとする」という行為に終わりは来ないだろう。

 

機械より速く走れないのが分かっていても、人類が坂道ダッシュを辞めないように、機械より賢くなれないのが分かっていても、人類は読書や学習を辞めないだろう。

 

しかし、それはもう既に「何らかの生産を目的とした行為ではない」というのは明白だ。

 

たった0.1秒、100メートルを速く走れるようになったところで、ふと振り返れば、ふと冷静になれば、それは実際には何の意味も無いことなのが分かる。

 

ギネスには「レモンを3個早食いする世界記録」や「くるみをお尻で割る世界記録」などの様々な記録が存在するわけだが、その中にふと「100メートルを速く走る記録」が存在していても、何らオカシイことは無いことが分かる。

 

つまり、そこに存在する違いというのは「どれくらいの人間が、その競争に参加しているか」くらいのものであって、本質的に見れば100メートルの世界記録保持者と、くるみをお尻で割る世界記録保持者の存在というのは、ほぼ同じと言っていい。

 

他者からの承認を求めない人類が産まれる

 

これは言い換えると、21世紀以降には

 

生存=生産という人類統一の承認テーマが消失し、そもそも承認欲求自体が消失した人類が産まれる

 

という意味でもある。

 

「身体能力が生産と紐づいていた時代」には、身体を鍛えて能力が向上することは、人類共通のテーマに連結しているため、ほぼ全ての人類から賞賛と承認を与えられる行為だった。

 

しかし、今の時代には100メートル走で0.1秒のタイムを縮める行為というのは、人類共通のテーマ(=生産)には連結していない。

 

だから、その行為に何の価値も感じない人類というのが大量に発生しているし、実際に興味がない人間からしたら

 

ウサイン・ボルトが新記録?へー、知らないけど凄いね。(実際はどうでもいいけど)」

 

くらいのものだ。

 

同じように、「知性を宿している」という状態も、それ自体が人類共通のテーマ(生産)から切り離された瞬間に、

 

「あの人は知性が高くて何千万円も稼いでいるんだって。すごいねー。(実際はどうでもいいけど)」

 

という世界になる。

 

2025年以降、勉強や仕事はもう「陸上」や「くるみを尻で割る」のとほぼ同列の行為になっていくという事だ。

 

お金も持ってない、仕事も運動もできない、でも軸があるやつ

 

なんか知らんけども、

 

「俺、ミニマリストだからバックパック1つで暮らしてるんだよね」

 

みたいな人間がいたとして、そういう人間は別にお金も持っていないし、仕事も運動もできないんだけど、でもなんか知らんけども

 

「この人って自分が大事にしたいと思っている軸があるよね」

 

みたいになって、人から羨ましそうな目で見られたりする。

 

そんな時代にすでに差し掛かっているのは、皆さんも何となく感じているはずだ。

 

これは、「考えて、動ける」という人間の2大要素が全て機械に劣る状態になってしまい、もはや生産が人類共通のテーマではなくなった時代において、

 

「他者からの承認を得ようとしても統一テーマが存在しないから無駄じゃね?それよりも、他者からの承認を必要としない人生を目指すべきじゃね?」

 

という、新しい時代に向けた準備が行われていると言える。

 

世の中全体が

 

  • 自分軸
  • 好きなことで輝く
  • やりたいことをやる
  • 自己理解

 

などに傾いていっているのも、人類が何となくこの時代背景を察知しているのが理由だろう。

 

はっきり言おう。

 

年明けの2023年からは、知性を磨くのは自己満足になるのだ。

 

この時代に、我々は「なぜ学ぶのか?」について考え直す必要がある。

 

勉強が趣味になったら、あなたはそれでも学ぶだろうか?

 

是非コメントで教えて欲しい。

 

インターネットって実質この20年何も進歩してなくない?

気づいている人も多いと思う。

我々が大好きな「インターネット」が、この20年間実際にはまったく進歩せずに今に至っているという事に。

 

私は今、500名規模のオンラインのコミュニティ(という言葉は好きではないが)を運営している。

 

ファーストペンギン村という、フリーランスを育てるためのオンラインサロンで、「オンラインサロン」などで検索したら様々なまとめサイトなどに紹介されるくらいには知名度もある。

 

だが、全くもって今さらの話で恐縮なのだが、最近になって気づいてしまったのだ。

 

我々が大好きな「オンライン」、つまりインターネットというものが、20年間まったく進歩していないという事実に。

 

我々はバカみたいにずっと同じことをやっている

 

およそ20年前くらいだが、私はインターネットというものに感動をして、当時所属していた部活動のWEB担当を勝手に名乗り出て、公式サイトを創ったりしていたことがあった。

 

私はエンジニアではないので、ホームページビルダーなるツールを使って、FTP使ってアップロードして・・・みたいな事をやっていた。懐かしい。

 

で、その時に一番盛り上がったというか、私にとって目玉コンテンツだったのは「掲示板」機能で、まぁいわゆる「スレッド」を作って、80人近く所属している部活動のメンバーがオンラインでいつでも交流できるようにしたわけだ。

 

これが意外とウケが良くて、各学年で普段は交わせないような意見交換が生まれたり、みんなが部活動やお互いについて何を考えているのかを知る、とても良いきっかけになったのを覚えている。

 

思えばこれが、私が「オンラインで人と人をつなぐ」という事を始めた瞬間だった。

 

あれからもう20年近く経った。

 

そして先日、改めて自分がやっていることを振り返って、私は絶望に近い感情を味わった。

 

そう。

 

インターネットのコミュニケーションは、実質20年間なにも進歩していないのだ。

 

置手紙システムから抜け出せないインターネット

 

簡単に言えば、インターネットでのコミュニケーションは

 

置手紙システム

 

だと表現できる。

 

コミュニケーションは基本的に「非同期」で行われ、つまり

 

「誰かが何かを書く」⇒「時間差で別の人間がコメントを追加する」

 

という掲示板を使って置手紙を残しあうシステムだ。

 

そしてこれは、私が20年前にWEBサイトの中に嬉しそうに掲示板を創っていた頃から何も変わっていない。

 

ツイッターFacebookも、やっていることは「誰かが何かを書く⇒時間差で別の人間がそれをチェックし、コメントを追加する」という掲示板を使った置手紙システムだ。

 

LINEもそうだし、このはてなブックマークもそうだ。

 

Newspicksも、アメブロも、slackも、discordも、何も変わらない。

 

全部ぜーーんぶ、まったく変わらず掲示板を使った置手紙システムになっている。

 

改めて見てみれば、我々が「進歩している」と感じているこのインターネットツールたちのほとんど全てが、実際には20年前から何も進歩していないのが分かる。

 

インターネットを使ったコミュニケーションという分野は、置手紙システムから全く抜け出せていないのだ。

 

通知に追われ続ける地獄のような毎日

 

私は自分のオンラインサロンが数百名を超えるようになってから、この置手紙システムの根本的な問題点に直面するようになった。

 

簡単に下記にまとめる。

 

⑴このシステムは目的的な場合にしか機能しない

 

まずそもそも、人がコミュニケーションをとる時には

 

  • 目的的 なケース
  • 非目的的 なケース

 

の2種類があり、その大多数は「非目的的=あまり意味はないけど発言する」という方に分類される。

 

そして、このインターネット置手紙システムは、「目的的なコミュニケーション」には非常に有用なのだが、それ以外(つまり非目的的な交流)にとっては非常に効率が悪いものになっているのだ。

 

例えばこれが、「PTAのメンバー全員が所属しているLINEグループ」みたいなケースなら、全てのコミュニケーションを「オンライン掲示板置手紙システム」で問題無く行うことができる。

 

なぜなら、そこでの交流や発言は基本的に全て「目的的」なものに限定されるからだ。

 

目的的なコミュニケーションの場合は、むしろ大幅に時間や移動などのコストを短縮できる事になる。「言った、言ってない」「伝えた、聞いてない」などのすれ違いを無くし、お互いにエビデンスを残しながら正確に目的の達成に向かっていける。

 

しかし、このLINEグループにPTAメンバーが例えば65名所属していたとしたら、ここで非目的的な会話をすることは不可能に近いだろう。

 

PTAのメンバー全員が入っているLINEで、「昨日の阪神の試合見た?ヤバかったよね!」とか言い出した奴がいたら、サイコパス感がすごい。

 

⑵ただし関係性が構築済みの相手と少人数なら成立する

 

では、オンライン置手紙システムは「目的的な交流しかできない」のか?と言われると、少し違う。

 

「関係性が構築済みの相手と少人数なら」という限定的な条件を付ければ、非目的的な交流も含めて成立することができる。

 

例えば、「4人の仲良しの友達とdiscordでサーバーを作った」という事なら、全く問題なく成立する。

 

この場合は、関係性によって「そこに何が書き込まれようと、つまり目的があろうが無かろうが、自分にとっては意味のある情報」になるからだ。

 

この場合は、ゲームを一緒に楽しむための「今から遊ばない?」という目的のある発言だけでなく、「昨日ここのラーメン食ったけど美味かったよ!」みたいな非目的的な発言ですら、参加者全員にとって「読む価値のある情報」になるため、置手紙システムでも交流できる。

 

⑶大規模になった瞬間に崩壊する

逆に言うと、規模が大きくなった瞬間に置手紙システムでは「目的的」な交流しかできなくなるという性質がある。

 

しかし、実際にはオンラインサロンやゲームクランなどの「100名規模の大規模オンラインコミュニティ」は増え続けており、時代の流れとしては

 

オンラインの何らかのコミュニティのような場所で初めて知り合う

 

という機会はこれからも増加する可能性が高い。

 

そして、この時に現場では「100人で置手紙システムを使って、目的的と非目的的の両方をごちゃまぜにして交流しようとしている」という悲惨な状況が生まれている。

 

関係性の構築のためには、非目的的な交流が必須になるが、それを100人単位で行おうとすると「誰かにとって意味が薄い情報」が氾濫することになってしまう。

 

だが、内部の人間関係を把握&構築するためには、そういった石ころみたいな書き込みに対しても全部チェックしたり反応するしかないし、たまにそういう通知にまぎれて「重要な目的的な発言」も混ざったりするからなおさら目が離せない。

 

言い方を変えると、多人数で掲示板を使ったオンライン置手紙システムで交流しようとすると、

 

  • 関係性の構築と維持のために24時間張り付いて全ての置手紙をチェックしていくか
  • 諦めて何も見なくなるか

 

の非常に極端な2択しか無くなってしまうのだ。

 

かといって非目的的な交流を排除すると・・・

 

上記の現実、つまり「大規模にオンラインで交流するのは難しい」という現実を突きつけられて、ほとんどのコミュニティオーナーが

 

  • 50人くらいの小規模でスケールを辞める
  • 規模を拡大するなら非目的的な交流を排除する

 

のどちらかに収束した。

 

現在、オンラインに存在する「集団」というのは、「活発だが、オーナーの友達が集まっているだけの小規模仲良しこよし軍団」になっているか、「規模は大きいが、98%がROM専になっている事実上のメディア」になっているか、のどちらかだ。

 

言い方を変えると、「文化的背景を構築しようとすると、小規模で濃密な交流をするか、1人のカリスマが大規模な布教をするかの2択になる」という感じになる。

 

アクティブ率を高めるためには「非目的的」な交流が必須だが、置手紙システムでそれをやろうとすると逆に98%は情報量についていけなくなる、という矛盾が発生しているわけだ。

 

きちんと「非目的的な交流」をユーザー間に促進し、関係性の構築が可能な状態になっていながらも、大規模な「集団」としての枠組みも維持できている、というオンラインコミュニティは、掲示板システムを中心にしては成立できないと断言できる。

 

どうすればオンラインだけで社会を創れるか

 

上記のような課題を抱えながらも、私は2017年くらいから

 

どうすればオンラインだけで社会を創れるか

 

というテーマに挑戦してきた。

 

物理制約のあるリアルに依存せず、完全にオンラインファーストだけで自分の周りの人間関係=自分にとっての社会を構築することができる世界にしたいのだ。

 

自分にとって理想的な文化的背景を持った集団を見つけ、そこにオンラインで所属すれば、低コストで「環境」ごと変更できるような世界。

 

産まれた場所、産まれた家庭など、運要素で決まってしまう物理的制約に縛られずに、誰もが「こう生きたい、毎日をこう過ごしたい」と望んだ時に、低コストで「望んだ社会」を自分の周りに構築できるような世界だ。

 

もう少しで見えてきているのだが、まだ明確に言葉にできない。

 

皆様のご意見お待ちしているので、次の世界に向けてのアイデアが欲しい。

 

コメントよろしくお願いします。